「発達159」の「野に咲く一輪の花と子どもをどのように結んでゆくのか」(小西貴士)が非常に面白い内容でした。

発達159:自然と子ども

発達159:自然と子ども

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小西さんは八ヶ岳で「森の案内人」をされている方です。写真家でも有り、保育士の資格もお持ちで、自然の中での子どもの様子をカメラに収めて写真集も出版されてます。

ゴリ(小西貴士) の 森のようちえん日記
https://ameblo.jp/gorilla-tarou/

小西さんは前職のとき研修に何度か来ていただき、待ち時間や研修の帰り際に少しお話をさせていただいたのですが、そのとき思い切ってこんな質問をしてみました。

「小西さんはご自分を写真家と保育者のどちらの比重が大きいですか?」

「写真家です」と答えるのかと想像していた僕の予想は意外な形で外れます。小西さんの答えはどちらでもなかったからです。

「僕は森の案内人です」

これが小西さんの答えでした。「八ヶ岳南麓の森の中へ暮らしを移し、今年で20年を迎える」小西さんはまさに自然を語るに余人をもって代えがたい人物だと思います。

小西さんがご自身を写真家ではないと答えたその理由はまた別の機会に譲るとして、小西さんの記事は「発達159 [特集] 自然と子ども」の中でかなり際立っています。

「自然」って何?

「発達159」で特集されている自然に関してのいくつかの記事は筆者によって「自然の定義」が全く違っていることに気が付きます。

その中でも小西さんが前提とする環境は、

天然林に近いような、ヒトの作為がしばらくの間及んでいなかったり、ヒトの影響がわずかであり、自然と更新されている森や野原や渓谷の様な環境

であり、「原生的な自然環境」と表現しています。

一方、同じ「発達159」の久保健太さんの記事はかなりイメージが違っています。

久保健太さんは大学のゼミ生と家族で行った三浦半島の磯での話をもとに「自然の中で過ごすと、どうして人は仲良くなれるのか」という問いを西田幾太郎やエリクソンらの理論で説明しています。

久保健太さんが前提とする自然は「ゼミ生と家族で行った三浦半島の磯」であり、小西さんのそれとの違いに戸惑います。
実際、久保さんだけでなく「発達159」の自然に関する記事のいくつかの論調は総じて「自然の中で子どもはより良く育つ」という論旨ものが多いと感じました。

 

ステレオタイプの自然賛歌に対する違和感

保育者はともかく自然が大好きです。僕も「自然の中で子どもはより良く育つ」ということを否定するつもりはありません。

しかし、小西さんは、様々な「原生的な自然環境」での子どもたちの様子を紹介した後にこう書いています。

「生きる」や「育つ」を理解するには大前提のルール無しには不安定です。その大前提やルールに頼った演繹的な推論が、必ずしも我が子の特徴を納得させたり幸福度を高めるものであるのかどうかはまた別の話なのです

保育の世界で良く言われる「自然の中で子どもはより良く育つ」という「大前提のルールに」に疑問を投げかけています。そして、

誤解を恐れずに言えば、「幼児期に豊かな自然体験をすることで、生命を尊ぶ感情や態度が育まれる」という大前提ありきで、幼い子どもたちと自然環境との関係を結ぶ教育の実践を行うことは短絡的であると、私は感じています。

と書いています。続けて

激動の時代を拙速に危機的だと捉えたり、不可逆的な進化に論のみで抗うようにテクノロジーの産物を不自然だと言い切ることについては、私はあまり懸命だとは思いません。なぜなら、原生的な自然環境に身を置いて、幼い子どもたちを過ごせば過ごすほどに、内奥的に生命の不思議さを志向すればするほどに、育ちや育ての実践という確かさかを感じずにはいられないからです。

とステレオタイプの自然賛歌や安易に「昔は良かった」と過去を美化する思考に疑問を投げかけています。

テクノロジーの進歩に対して保育者はどう対峙するべきか?

以前、ある研究者の方から「学会でiPadを利用した保育に関する発表なんてとてもじゃないけどできる空気じゃない」という話を聞いたことがあります。

これは小西さんの言う「テクノロジーの産物を不自然だと言い切る」ひとつの例ではないかと感じています

我々保育者は、AIやiPadのようなテクノロジーの進化や伝統的な価値観に知らず知らずのうちに縛られる保育観に対して、本当に子どものためになるのかどうかを真剣に考える時期にきているように思います。

また、カンや経験でなくエビデンスに基づいて保育を行い、なおかつ保護者に寄り添った子育て支援につなげる姿勢も必要になってくるでしょう。

「自然と子ども」という特集でありながらご自身のアイデンティティーを「森の案内人」であると答えた小西さんの文章は、保育にとって自然とは何かだけでなく保育者はテクノロジーの進化に対してどう対峙すべきかを考える機会になりました。

ちなみに小西さんが「森の案内人」と答え「写真家」としての自分を一番と答えなかった理由は非常に興味深いもので、そう考える具体的な話を聞かせていただきました。

僕自身プロフェッショナルとは何かを考えるヒントになったので興味のある方は小西さんに聞いてみるといいかも知れません。


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