発達記録を分析することへの抵抗感

保育所保育において、子どもの発達過程を記録し、その振り返りを行うことは、とても大事なことです。発達記録の取り方については、統一的な方法論が確立している訳ではなく、それぞれの保育士や保育所で工夫していくことになります。

目下、我々は、達成記録スタイル(ある行動や能力は、できるようになって時期を記録する)の発達経過記録を分析して、クラスや子どもの発達過程の「いま」を可視化する試行錯誤を続けています。

 

さて実際に、分析した資料を保育士の皆さんに見て頂くと、

    1. 発達記録のデモ分析資料を初見では、戸惑う感じであった。通り一遍の説明ではよく分からないという感想を持つ。
    2. 個別の具体的な分析、要すれば子どもの名前入りの分析を見せると、一気に分析の中身についての理解が進む。
    3. しかし、それでも、分析資料において、数値化、グラフ化すると、抵抗感を隠さない保育士も少なくない。

というように話しが進むことが多いです。

特に、③の段階で抵抗感を示される保育士の方は、発達記録の分析資料を、成績表というメンタルモデルで解釈し、抵抗感を持たれるようです。

 

メンタルモデルとは? 

ここで何の説明もなしに、「メンタルモデル」という言葉を使いました。

人間の学びの過程を科学的に研究する分野として「学習科学」がありますが、人間の認知・学習過程を表現する概念として「スキーマ」と「メンタルモデル」というものがあります。発展を続けている「学習科学」において、非常に重要なキー概念です。

 

スキーマ(schema) とは、「AはBである」「AならばBである」などの形で表現される事実関係に関する知識が、因果関係や順序関係のような構造を持って配置されたものとされています。

さらに、「メンタルモデル」とは、次にように説明されています(大島・千代西尾 編「学習科学ガイドブック」北大路書房 p6)。

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784762830808

 

「人は、スキーマのように意味のあるかたまりとして知識を整理して記憶し利用するだけではなく、さらに、自分の置かれた問題状況に合わせてそれを「モデル化して動かしながら」利用することもできます。こうした形態の知識をメンタルモデルと呼びます。メンタルモデルは、さまざまな仕組みを人間が理解するために構築する知識表象の一つです。たとえば、読者のみなさんはご自宅のエアコンの冷房と暖房がどのような仕組みで動いているのかを説明できますか? 人によってその説明の真偽や細かさはそれぞれですが、たとえ理由を知らなくても「こんなふうになっているんじゃない?」と、私たちは、説明が要求されるたびにもっている知識を縦横無尽に組み合わせて説明のためのモデルを構築します。ここで構築されるのがメンタルモデルです。」

 

筆者なりに言い換えると、人間の認知は、客観的な外観からの信号をそのまま五感で受け取って、それを認識するものではなく、人間は、新しい事象に直面した際、自分にとっての意義や価値、そして時には、その利活用法を、それと類似した(と判断される)別物についてのメンタルモデルによって判断、評価するということになります。

メンタルモデルとは、「これは、こういう構造、内容になっていて、このように作動、機能する(はずだ)」という思考であり、「世の中の仕組みについての深く染み付いた考え方」とも言われます。要すれば、外界の動きについての個人の頭の中の予測モデルです。あるいは、その意義、意味を自分に引き寄せて判断する判断モデルです。

 

成績表モデルの「壁」

発達経過記録を統計的、数値的に分析し、それを表やグラフで表現した資料は、世上にそれほど普及していませんし、保育実践の中で、恒常的に利用されている訳でもありません。保育士の皆さんにとっては、間違いなく「見慣れない」ものです。そのため、発達経過記録の分析資料というメンタルモデルが、保育士の皆さんに広く備わっているということはありません。となれば、何らかの別のメンタルモデルに沿って、一定の理解、解釈、評価をしているはずです。

その「メンタルモデル」は、現時点では、学校の成績表になってしまうようです。

幼児保育(養護と教育)における「評価」について、例えば、平成30年3月 幼稚園教育要領解説(フレーベル館版 p122)では、「また、幼児理解に基づいた評価を行う際には、他の幼児との比較や一定の基準に対する達成度についての評定によって捉えるものではないことに留意する必要がある。」とされており、ランク付けのような評価に対して否定的な見解が示されています。

このような見解と、一見、「成績表」のような表現要素を含む資料を、「成績表メンタルモデル」で受け取るという現状では、そこに抵抗感を持ってしまうのは仕方が無いことなのでしょう。まさに、成績表というメンタルモデルが、壁として立ちはだかっています。

 

看護過程における「アセスメント」というメンタルモデル

とはいえ、折角、保育士の皆さんが貴重な時間を使って記録化している発達経過記録を分析しないでおくことは、非常に勿体無いことです。このような状態を打開するためには、発達経過記録分析資料に対するメンタルモデルを転換することが必要になります。

今のところ、私は、この問題の解決のヒントは、看護過程(論)における「アセスメント」という機能モデルにあるのではないかと思っています。

 

看護過程とは、次のように説明されています(パトリシアWヒッケイ「看護過程ハンドブック 増補版」医学書院 1999年 p2~3)。

https://www.igaku-shoin.co.jp/book/detail/4546

「看護過程とは、看護婦(註:原文ママ)が患者のためにケアを計画し、提供するための系統的な方法である。看護過程とは問題解決的アプローチであり、それによって患者の問題とニードを明確にし、優先順位に沿って科学的なやり方で看護ケアを計画して実施、評価することができる。看護過程という枠組みを用いることによって、看護婦(同上)は患者のニードに焦点を合わせ、幅広い看護の知識を組織だった形で適用することができるのである。」

 

また、看護過程における「アセスメント」については、次のように説明されています。

「アセスメントとは、看護過程の最初の段階であり、身体面・発達面・心理面・社会面・精神面の情報を系統だった様式で収集することである。 (中略) 次いで、これらを看護の視点に従って整理し、仕分けする。このようなデータの仕分けによって、問題を明確にするためのデータベースを作成する。」

 

このような看護過程という考え方は、「患者」を「子ども」と置きかえることで、子どもたちの発達、成長へのサポートを、専門性を持って実践する保育士の活動の説明として十分通用するのではないでしょうか。また、アセスメントの定義についても、同様ではないかと思います。

このアセスメントは、具体的な実践では、(電子)カルテや看護記録という形で記録され、保存されることになりますが、そこには「データの仕分け」という、ある程度の分析的部分が既に内包されていることになります。

看護過程では、アセスメントの後、診断→計画立案→実施→評価、そして、次の段階のアセスメントへとつながっていきます。つまり、アセスメントという「モデル」には、「刻々と変化するもの」というニュアンスが含まれていると考えてられており、看護記録等は一回作って完成ということではなく、状況の変化に伴って、逐次改修されていくものになります。

この看護過程におけるアセスメントの動作・機能モデルを踏まえれば、発達過程の分析結は、学校の○学期の成績表のように、その記載が「氷結」させられて、その後変化しないということではなく、子どもの変化に合わせて、分析記録自体も刻々と変化していくものとして存在しなければならないと思っています。「上書き更新」前提ということです。

 

眼前の一人ひとりの子ども理解へと「アフォード」したい

まずは、このような看護過程における「アセスメント」というメンタルモデルで、保育実践における発達経過記録とその分析結果を理解してもらえるような説明と情報発信を進めていくことが必要なのでしょう(このブログも、実はその一環として企画しました)。

 

勿論、その分析とは、子どもの発達過程を理解するための「視角」を提供するものでしかありませんから、定量的に処理された表や数値、グラフだけで、子どもが理解できたと思って欲しくないことは当然です。分析された結果は、暫定的なものであり、何らの「結論」でもありません。

そして、その分析が示す「子どもの姿」も、保育者と子どもの関わり、環境構成、カリキュラムの相互作用の結果であり、その分析結果にどのような意味、価値を持たせるかは、子どもと保育者に委ねられている、あるいは「投げ返されている」のです。

だからこそ、「こういう分析だから問題ない」とか、「こういう結果だから、ここだけ修正すれば良い」という思考に陥らないように、この発達経過記録の分析結果の構成や表現を考え、改良していかなければなりません。

発達記録の分析ツールは、保育士の皆さんが、「目の前の子どもをもっと理解したい」「理解できた」と思えるような情報や知覚、価値をアフォードするものにしていきたいと思っています。