「ハーバードの個性学入門」という翻訳本があります。この本の原題は、「The End of Average」で、「平均(時代、思想)の終焉」と訳せますが、この原題の方が、この本の雰囲気をうまく表現していると思います。

 

平均的なパイロットなんて、いなかった!

さて、この本は、次のような、とても印象的なエピソードから始まっています。

昔、アメリカ空軍が戦闘機のコクピットの寸法がパイロットの体の寸法に適合していないため、操縦ミス起因の事故が多発したことから、パイロットの数十カ所を採寸して、コクピットを再設計することとしたそうです。そして、その採寸データを平均して、「理想的なコクピット」を設計しようとました。しかし、個々のパイロットのデータと平均値を比較したところ、多くの採寸箇所で平均値の近傍の値となっているパイロットは存在しませんでした。つまり、平均で設計されたコクピットは、どのパイロットにも不適合なコクピットになってしまうという結果でした。このため、平均で設計するのではなく、コクピットに自由度を持たせる設計となり、例えば、操縦士のシートを前後に動かせるようにしたとのことです(この機構は、現在では乗用車の運転シートで標準的になっている、あれです)。

このエピソードから導かれる洞察は、人の個性にでは、「平均の人もいるが、平均ではない人も多い」ということではありません。それは、単一の性質や要素についての話しであって、過度に単純化された印象論です。

本当の「真実」は、人が備えている複数の性質や要素の「全てについて」は言うに及ばず、相当数の要素や性質についてであっても、平均値を見せる人は存在しないということです。一次元ではなく、多次元の側面からみて、平均人というものは、経験的な検証の結果、存在しないのです。

 

平均に合わせた保育は、全員に不適合

とすれば、このブログの表題にもあるように、「平均的な子ども」は、経験的、実証的に存在しないということが、導かれます。

幼稚園教育要領解説では、「発達を理解するということは、年齢ごとの平均的な発達像を比較してその差異を理解することのように受け止められることがあるが、必ずしもそれだけではない。発達に関する平均や類型は、一人一人の発達を理解する際の参考に過ぎない。」とし、「真の意味で発達を理解することは、(中略)一人一人の発達の実情を理解することである。」とされている(平成30年3月 フレーベル館版 p100)。ここからも、平均というものは、バーチャルなものであって、実際に存在するのは「個々の実情」だということを読み取るべきでしょう。

 

これらから、分かることは、

・所詮バーチャルなものである平均値との差は、個々の子どもの発達の現状評価には直結しない。

・所詮バーチャルなものである「平均的姿」に合わせる保育や療育は、どの子どもにも適合しない。

ということではないでしょうか。

 

個性に関する3つの原理

さて、冒頭で紹介した本「平均(時代、思想)の終焉」では、『個性に関する3つの原理』として、「バラツキの原理」「コンテクストの原理」そして「迂回路の原理」を説明しています。

「バラツキの原理」とは、個性は複数の要素、性質からなっており、それらの要素の間の関連性は多くの場合、強くないということです。「私たちのほとんどは、体の少なくとも一部が極端に大きいか、もしくは極端に小さい。」(「ハーバードの個性学入門 p121)のです。

「コンテクストの原理」とは、個人の行動は、その行動がなされる条件や環境(コンテクスト)と個人の特性の相互作用で決まるものであり、個人の「平均的な傾向」や「本質的な性質」を求めても明確な結論は出ないということです。これを、同書では「特性は神話である」(同書 第5章の表題)と表現しています。

「迂回路の原理」とは、人間のいかなるタイプの成長についても、たった一つの正常な経路は存在せず、その迂回路も妥当なもので、個々人にとって最適な迂回路がどれであるかは、その個々人の個性によって決定されるというものです。これを、同書では「私たちは誰もが、行く人の少ない道を歩んでいる」(同書 第6章の表題)と、とても腑に落ちるフレーズにまとめています。

これら3つの個性に関する原理は、幼稚園教育要領で求められている「一人一人の発達の実情を理解」を実践していく上で、とても重要な「導きの糸」になっていると思います。

 

目下進めている、発達経過記録の分析、可視化という作業は、永久のベータ版にしかならないことは良く理解しているつもりですが、それでも、この「個性に関する3つの原理」を踏まえた分析方法、可視化手法を、さらに深く研究していきたいと、決意を新たにすることができました。

本当に良い本に出会えたと思っています(翻訳本の題名は・・・)。